大間越街道には200基以上の庚申塔が点在しています。そのほとんどは弘前市から鰺ヶ沢町までの、とりわけ岩木山の周辺地域から弘前城下までを結ぶ県道31号線沿いに所在します。
▼おおよその庚申塔密集範囲
今回は庚申塔の集約された場所*1である「庚申塚」を、弘前側を基点として順に掲載していきます。

庚申塚の名称はいずれも私が便宜上つけたものです。資料によっては全く異なる名付け(名無しも含む)がなされている場合があります。
なお、情報は訪問当時のものであることにご留意ください。
①高杉ハリギリ庚申塚
所在地:弘前市高杉字尾上山・身代地藏尊
座標:40.6702314, 140.4159533
住所は高杉ですが、古い地域区分でいうと住吉にあたります。現に、庚申塚の脇にあるコミュニティセンターは住吉公民館といいます。ここは住吉町会の身代地蔵尊を祀った場所であり、庚申塔はその境内に安置されています。
鳥居をくぐってまず目に入るのは、圧倒的な存在感を放つ県指定保存樹木の大ハリギリ。3本の木がひとつに合体した豪壮な枝ぶりは、多くのハリギリの巨樹を抱える青森にあっても県下最大級だそうです。広角レンズでないと画角に収まりきりません。
そんなハリギリの枝葉に護られているのが、弧を描くように配置された庚申塔群。文政5年銘を最古に計11基並んでいます。
これらはもともと大間越街道沿いにまばらに置かれ信仰されていましたが、道路拡幅や整備事業により場所を追われたために集められたものです。
ここだけでなく、街道沿いの庚申塚のほとんどが同様の理由で形成されたらしいです。
特筆すべきは昭和55年、すなわち直近の庚申の年に「町会一同」が建立した庚申塔。つい最近まで当地では庚申信仰が絶えず続けられていたことが窺えます。
他にも力士碑と二十三夜塔も確認できます。
▼独立記事
②鬼沢牛頭天王庚申塚
座標:40.6824109, 140.4119337
「鬼伝説の里」として県内外から観光客が足を運ぶ集落、鬼沢。人を手助けした鬼を祀る鬼神社が鎮座しています。鬼が出ていってしまわぬよう節分は豆を撒かないという習わしの残る、一風変わった土地です。
集落の入り口、鬼沢南口バス停のすぐそばのこんもりとした丘の上に、牛頭天王塔を祀るお宮が鎮座しています。
令和(Googleマップのストリートビューやネット上の情報を見た感じ、平成末期の建造の可能性あり)に新しく建てられた石鳥居には珍しい「午頭天皇」表記の扁額が掲げてあります。かつての木造鳥居の扁額は「牛頭天皇」表記だったようです。


話が脱線しましたが、お宮の周りには人丈ほどもある庚申塔がずらりと並んでいます。計11基あります。最も古いのは寛政9年銘、新しいのは昭和34年銘です。鬼澤村中や村内の講中によりこれらは建てられました。
ここの特徴的な庚申塔は先述の寛政9年銘のもので、「奉敬禮庚申本地青面金剛真言天下泰平五穀成就願主二世安樂所」という長文を刻んでいます。
津軽地方では大変珍しい「二世安楽」銘を有するばかりか、当地が庚申の本地仏=青面金剛であると解釈していたことを今に伝える貴重な庚申塔です。
他にも二十三夜塔や「鶴喰の板碑」、六十六部廻国供養塔、造立目的不詳の石塔があります。
▼独立記事
③大石神社庚申塚
所在地:弘前市大森字勝山・大石神社
座標:40.7122356, 140.3804761
岩木山の山麓に鎮座する大石神社の下宮(下社)にあたる神社です。この先、大森集落の西口には中宮も鎮座しています。
計10基の庚申塔が社殿を挟むように配置されています。複数ある社号標も含め、石造物だらけの境内です。大森村中や貝沢村中、またはその両方の村がそれらを建立、寄進しました。
ここにある中で最も特徴的なのは、三猿像が彫られた天保3年銘庚申塔です。
津軽地方では自然石型文字塔に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿が施されていることは極めて稀で、その数は全体の1%未満です。
ここ以外だと同市新岡や住吉町の護穀神社に見られます。
他にも馬頭観音塔、二十三夜塔、天明飢饉供養塔が境内に安置されています。
▼独立記事
(鋭意執筆中)
④観音林庚申塚
所在地:弘前市十面沢字轡91付近
座標:40.7317556, 140.3478675
観音林バス停からやや歩いた場所、 十面沢集落の北口にあります。勾配のある坂に石鳥居が建っているため発見は容易です。
この鳥居は工藤金市という方が昭和12年に奉納したものです。
「猿田彦大神」と隷書体で刻んである扁額が掲げてあります。この手の扁額には珍しい日天月天も彫られています。祀ってある庚申塔の彫像から着想を得たものでしょうか。大間越街道において、扁額付き且つ石鳥居を伴う庚申塚はここだけです。
坂上に計5基の庚申塔が並びます。豊富な石材に恵まれた岩木山麓地域なだけあり、一つ一つがとても大柄で、なんだか嬉しくなります(この感情の出所は不明)。
ここには取り立てて珍しいものはありません。強いて言うなら、いずれも講中ではなく十面澤村中や當村中など、村単位での造立であるという共通性が見られる点で他の庚申塚とは異なります。
他には二十三夜塔が1基だけ併祀されています。
▼独立記事
⑤十腰内南口庚申塚
所在地:弘前市十腰内字野中
座標:40.7447580, 140.3394339
山神さまや馬頭観音(ソウゼン神)、馬石像、百万遍塔、お地蔵さん、二十三夜塔といった津軽地方の民間信仰オールスターが一堂に会した場所です。ここには1基しか庚申塔がなく、庚申塚としてカウントするのはおかしい気もしますが一応掲載。
というのも、その庚申塔がかなり特殊なもので、「庚申大神」を碑面正面に大きく刻み、右側に「神の知らせ三十三才の時より母様の手に渡り子孫代々までも信心願う」という極めて個人祭祀的色彩の濃い銘文が刻んであるのです。
これは佐藤久三郎という方が昭和39年、59歳の時に建てたもので前掲銘文の通り、造立意図がハッキリしています。庚申大神という主銘も含め、とてもユニークな庚申塔です。
そばに置かれた二十三夜塔も佐藤氏による建立で、同年月日に建てられていることから、この庚申さまと三夜さまは夫婦神として祭祀が行われていたことが見て取れます。このような事例は津軽だと普遍的に見られます。
先述の石造物群の詳細は以下を参照のこと。
▼独立記事
⑥十腰内山神堂庚申塚
所在地:弘前市十腰内字野中・山の神堂
座標:40.7470792, 140.3385532
十腰内簡易郵便局からほど近い、佐藤酒店の裏山に山の神堂が鎮座しており、そのやや下に庚申塚はあります。
津軽地方の庚申塔をマップに打鋲する作業に取り掛かった2年前、このあたりをストリートビューで回っていると偶然にこの鳥居を見つけました。かなり立派に見えたので奥の茂みになにかしらの神社があるだろうと考え、色々と調べてみたものの情報が見つからず、ずっと謎の場所でした。
しかし1年ほど前に入手した文献に、十腰内の東の丘上に尋常じゃない数の庚申塔が祀られていることが記されていて、 集落内で他に有力な候補地もなかったため「もしやここのことでは?」と思い、確信に近い気持ちを抱きつつ訪問しました。


すると期待通り、そこには数多の庚申塔が待ち受けていました。尋常じゃない数、と先ほど述べましたが、その理由というのが津軽地方で庚申塔の最も密集してる場所がここだからです。
単独の記事は未完成なので精査が必要ですが、計18基の庚申塔が並んでいます。この数は資料に記された掲載数と一致します。
ここで特筆すべきは猿田彦大神と天鈿女命の併刻塔。旧木造町などの新田地帯や青森市に多く点在する、夫婦神として建てられた庚申塔です。
猿田彦大神を庚申さま、天鈿女命を二十三夜さまに当てて信仰するケースが津軽地方には往々にしてあり、その思想が反映された石造物なのです。
つまり庚申塔でもあり二十三夜塔でもある、というわけです。詳しい説明は各自治体史に譲ります。
他に題目甲子塔、二十三夜塔(像塔)、山神塔、石猿などがあります。
▼独立記事
(鋭意執筆中)
⑦建石鳴沢庚申塚
座標:40.7669719, 140.3049699
かなり分かりづらい場所にあります。鬼神神社バス停向かいの個人宅脇の木立の中です。大小の庚申塔が5基仲良く並んでいます。
本記事中、最も発見難度の高い庚申塚と思いますので、不安な場合は隣家の方に尋ねると良いかもしれません。
中央の安政2年銘の庚申塔は少し特別で、「宿 井上甚吉」という銘を有します。
この「宿」とは講中内でどの日に、どの家で庚申講を催すかを定める当番制、いわゆる当家制(トウヤ制)の痕跡である考えられています。猿田彦大神フォーラム年報『あらはれ』第5号に掲載された宮﨑敦子先生の論考「津軽に生きるサルタヒコ〜庚申信仰を中心にその姿を探る〜」には、津軽の多くの地域は庚申の日に集まる家のことを「ヤド」と呼ぶと記されているため、当地でもその名称でトウヤが持たれていたのだと推察されます。
同様の庚申塔は弘前市新里、鶴田町胡桃舘などに現存しますが、鰺ヶ沢町においてはこれただひとつしかありません。
他に若木山大権現塔も祀られています(資料は岩木山大権現塔とする)。
▼独立記事
⑧戸波城跡庚申塚
座標:40.7802888, 140.2618249
南浮田集落の外れに地蔵堂と百万遍塔があり、傍に「戸波城跡入口」と墨書きされた奇抜な意匠の標柱が設けられています。
その標柱の背後はなだらかな坂になっていて、少し上ると若干開けた空間があり、そこに3基の石塔が置かれています。
右端だけが庚申塔と判断でき、主銘に「幸神」を据えています。このタイプの庚申塔は西浜地域に集中して見られ、鰺ヶ沢町の庚申塔は3割超が幸神、幸神塔、幸申銘と刻んであります。
これは単純に庚申待が農民の幸せを祈る信仰であることから来ているとされますが、神道系庚申信仰で祀られる猿田彦大神には幸神という異称もあるため、その辺からも影響を受けているものと思われます。
仏教系の青面金剛の文字や像を刻んだ石塔が西津軽郡に極めて少ないことも、その証左と言えます。
残りの2基は向かって左から弘法大神(ママ)塔、無銘石塔です。それらの背後には現代的な雲板の付いたツカ上げ(庚申のツカ)も確認できます。
▼独立記事
⑨舞戸坂本庚申塚
座標:40.7793906, 140.2274182
これがラスト。
坂本集落から舞戸町へ通じる坂を下って、五能線踏切手前の道を南へ逸れると住家が建ち並んでいます。そこから東の丘を見遣ると鳥居が建っているのが分かります。
ちょっと言葉では説明できないのですが、民家に挟まれたところの石段を通るとすぐたどり着けます。
資料に挿入された写真には、頼りない太さの材木で造られた鳥居が写っていますが、現在は赤く染まった大きめの鳥居が建てられています。
ここには石質はバラバラ、建立目的もバラバラの石塔が計8基並んでいます。そのうち4基が庚申塔です。
壬文政五年午八月十九日、癸天保十四年卯九月廿日、乙大正十四年丑八月十六日というように元号の上に十干、月日の上に十二支を刻んであるのが特徴です。
他には二十三夜塔と無銘石塔があります。後者は風化した庚申塔と考えられます。
▼独立記事
以上、9箇所の庚申塚を紹介しました。実はまだある*2のですが、未訪であるためそれらは漸次追加していこうと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございます。拙記事が皆さまの参考になれば幸いでございます。
▼本記事を作成するにあたって参考にしたブログ



