青森県南津軽郡大鰐町居土字目屋沢の共同墓地(訪問日:令和6年9月5日)
各家の墓所へ向かう坂道の途中に頂面をやや平らに整形した山状角柱型の石塔が安置されています。こらちは天明の大飢饉で落命した人を弔った飢饉供養塔です。
披見には至っていませんが弘前市立博物館『津軽の石仏等調査報告書』によると、飢饉の際に大根を盗んで殺された親子のために建てられたという言い伝えがあるのだそうです(関根達人編『津軽の飢饉供養塔 弘前大学人文学部文化財論ゼミナール調査報告Ⅲ』152頁参照)。
同様の伝承は飢饉の被害が甚だしかった旧岩木町域にも伝わっています。
また、別の資料には本塔の建立者である中嶋作之丞と外﨑佐五兵衛は、居土村とは無関係のところから飢饉のを逃れにやってきた3人がこの地で死んだのを哀れに思い、仏として極楽で往生できますように3人を弔い、供養塔を建てたとも記されています。
天明飢饉供養塔


刻銘「安政三丙辰年(1856) / 施主中嶋作之丞外崎佐五兵衛 / 天明五卯年九月廿四日(1785) / 無縁霊親子三人菩提也」
原刻字「施主中嶋作之丞外﨑佐五兵衛 / 無縁㚑親子三人菩提也」※㚑の字は上部の「」。
山状角柱型
飢饉供養塔の右手には近年に造立された丸彫地蔵菩薩立像の石仏が安置されています。本記事の1枚目の写真右上に写っている草刈り中のおばあさんによると、地域住民がお着物を新調させてあげたりお供えを上げたりしに来るとのこと。
飢饉供養塔についても尋ねたところ、何年か前に私と同じく調査目的で訪れた人がいたとのこと。津軽弁で話していたからその方は津軽の人だろうとも仰っていました。
共同墓地の所在地



