石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

長野県の庚申塔 #18(茅野市金沢・路傍)

長野県茅野市金沢の路傍(訪問日:2024年4月8日)f:id:nagatorowo2:20240726123912j:image甲州街道沿い、金沢橋に差しかかる手前、金沢区の集会所前に小さな堂宇とそれに付随する石塔群があります。
そばには由来碑も設けられています。f:id:nagatorowo2:20240726123859j:image

由来碑 如意輪観音の由来
金沢宿本陣問屋三代目小松三郎左衛門は金沢山をめぐる金沢町と千野村との山論においてその中心となって働いた人である。延宝六年(一六七八)藩奉行所の裁許状に対し金沢町の立場を強く主張したが、奉行所では駅伝馬の遅れと裁許状に服しないのを理由にはりつけの刑に処した。処刑はその年の十月二十五日町民涙で見守る前で三十四歳を一期に刑場の露と消える。処刑の地はこの付近と伝えられている。
寛延二年(一七四九)供養の地蔵尊が建てられたがいつの頃か水害にあい流失したものと思われる。寛政十二年(一八〇〇)下町の人々により祀られた如意輪観音をその対象として供養が行われ今日に至っている。
昭和五十九年十月二十五日
小松三郎左衛門奉賛会


f:id:nagatorowo2:20240726123904j:image堂内に祀られた石仏が件の如意輪観音のようです。そちらは最後に回し、まずは他の石仏石塔から掲載します。
f:id:nagatorowo2:20240726123925j:image青面金剛庚申塔

刻銘「寛延二己巳年二月十二日(1749) / 施主小池源内(ほか2名略)」f:id:nagatorowo2:20240726123909j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、三叉戟、矢、弓、蛇)f:id:nagatorowo2:20240726123901j:image二鶏像と三猿像


f:id:nagatorowo2:20240726123907j:image馬頭観音塔(馬頭観世音塔)

刻銘「昭和十三年十月一日(1938) / 北支大行山脈於戦歿 / 愛馬主建之小松喜由 / 軍馬金奉號馬頭觀世音」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20240726123922j:image水神塔

刻銘「(紀年銘不詳) / 水神明王

自然石型、彫像(円相)


f:id:nagatorowo2:20240726123917j:image如意輪観音塔(丸彫如意輪観音坐像塔)


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刻銘「寛政十二庚申年四月吉日(1800) / 下町中」f:id:nagatorowo2:20240726123933j:image御尊容(坐像、丸彫型)

 

踵を返し国道20号線まで戻ると解説板があります。f:id:nagatorowo2:20240802122425j:image

解説板 甲州街道案内
(小松三郎左衛門桟敷場~権現様~御射宮司・焼け屋敷)
 この先に小松三郎左衛門の遺徳を偲び公徳を称える如意輪観音像(にょうり様)と川の東側に桟敷場があります。この看板から川沿いを少し進むと石仏が並んでいる旧宮川大橋跡があります。そこから、国道(大橋)に出て橋を渡り、右側の川沿いを五十メートル程進んだところで左に権現様が見えます。権現様から国道を渡ると甲州街道案内板があります。そこから二百メートル程進むと御射宮司・焼け屋敷があります。
(参考:小松三郎左衛門)
 今から約三百五十年前の千六百五十六年(延宝六年)千野村(宮川)との山論争(山の境界線と傷害事件)で金沢山の権利を主張する村民の願いを一身に背負って訴訟の先頭に立った小松三郎左衛門(四代目)は、不幸にして敗れ、その責めを受け三十四歳で磔の刑となり、一族ことごとく追放される悲しい事件がありました。
 千六百五十六年から高島藩主・諏訪忠垣の裁定で内山となっていたが千六百六十八年入山し、境に関する傷害事件をおこし、それをきっかけに、入会山となってしまいました。千六百七十六年、小松三郎左衛門は、江戸に行き直訴するという噂が流れ、高島藩に捉えられ、下町二と金沢台の境(宮川河川敷)で村民に見せしめとして感の刑となりました。(桟敷場)
 その後、山に依存して生きる金沢に苦難の長い年月が過ぎ悲願やるかたない村民の願いを込めて二百年が経過した明治十三年、子孫縁者が宮城上等裁判所に提訴し、誠意と真実に心を動かされた裁判所によって勝訴の判決がおり、ようやく鳴沢山が宮川より分離され金沢村のものとなり、鳴沢山に唐松の苗が植林されました。
平成三十年十月吉日
金沢地区コミュニティ運営協議会
金沢の未来を考える研究会

諏訪忠垣は諏訪忠恒の誤植と思われます。

如意輪観音の所在地