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駒込大観音の庚申待百万遍講中庚申塔(文京区向丘2丁目・光源寺)東京23区の庚申塔 #346

東京都文京区向丘2丁目の天正山光源寺(訪問日:2024年5月6日)f:id:nagatorowo2:20250305215504j:image光源寺駒込大観音の境内の大観音児童遊園に庚申講中により建てられた非常に大ぶりな石仏が安置されています。写真はそれを背面から撮ったものです。

そばには解説板が設けられています。
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解説板 庚申待百万遍講中庚申塔(こうしんまちひゃくまんべんこうちゅうこうしんとう)
文京区指定有形民俗文化財
平成23年3月1日指定)
向丘2-38-22 光源寺

 青面金剛立像を主尊とする笠付角柱型の庚申塔である。紀年銘から明和9年(1772)9月に造立されたものと考えられる。基礎の上に塔身・笠、最上部に宝珠を載せる。地面からの高さは250cmを超える、極めて大型の庚申塔である。
 塔身正面に一面六臂の青面金剛立像を浮き彫りし、その下には青面金剛に踏まれた邪鬼や岩座の中に三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)を浮き彫りする。塔身向かって右側面および左側面には施主銘「庚申待百万遍講中」や願文が、裏面には「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれる。また、上段の基礎の四面すべてと下段の基礎の正面には200名を超える人名が刻まれている。これらは、本庚申塔の造立に関係した人々と考えられる。
 本庚申塔は、保存状態が良好であり、かつ造作・規模などの点から極めて優品の庚申塔である。江戸時代中期における庚申信仰のあり方を伝える貴重なものである。
文京区教育委員会
平成24年3月


f:id:nagatorowo2:20250305215442j:image表に回るとこんな感じです。解説の言う通り、都内でも有数の秀作です。保存状態も優れています。

そして南無阿弥陀仏「庚申待百万遍講中と刻まれていることから分かるように庚申講中のみならず、他の信仰集団が造塔に関与したことが明らかであり、その点からもとても貴重な石仏と言えます。

本塔の造立年である明和九年は江戸幕府による内政の混乱、相次ぐ天災やそれに連なる飢饉などもありました。そのため明和九年は「迷惑年(めいわくねん)」と揶揄されました。安永への改元ののちも、しばらくは庶民生活の苦しさは改善されませんでした。

恐らく、それを嘆いた庚申講中および百万遍講中の人々が結託し、除難招福を願いこの庚申塔を建立したのだと考えられます。

以下に載せる銘文のうち祈願文にあたる武運長久云々の銘の中に「災」「難」が登場しますが、この2文字が他の刻字より小さく彫られている点も、それらを何としても避けたい人々の気持ちが表れているのだと考えられます。
f:id:nagatorowo2:20250305215434j:image青面金剛庚申塔(六字名号塔)


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刻銘「明和九壬辰歳九月吉祥日(1772) / 大願主丸山忠右衛門同大寶院同万寶院石工五郎兵衛(交名計208名) / 庚申待百万遍講中 / 武運長久息災延命七難即滅七福即生天長地久御願圓満一天四海天下泰平 / 南無阿弥陀佛」
f:id:nagatorowo2:20250305215455j:image御尊容(立像、一面六臂、笠付角柱型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、髑髏、宝剣、ショケラ、三叉戟、矢、宝輪、弓)
f:id:nagatorowo2:20250305215447j:image二鶏像、一邪鬼像、三猿像。二鶏は雌雄一対。一邪鬼は横寝の体勢で肘をつき右手に顔を乗せています。三猿のうち中央に座す不見猿には生殖器が表されており、有性であることが分かります。

邪鬼がこのような姿をしているのは病魔や厄災の象徴であるため、それが増長し人々を苦しめているのをユーモアを交えて表現したためではないでしょうか。心なしか、災禍を防ぐ青面金剛に圧倒されつつも余裕そうな顔を浮かべているように見えます。


f:id:nagatorowo2:20250305215515j:image庚申塔の脇には柵に囲われたこれまた大きな石仏が2基安置されています。どちらも坐像の形式を採る墓塔です。
f:id:nagatorowo2:20250305215451j:image阿弥陀如来坐像墓塔。寛文年間造立。
f:id:nagatorowo2:20250305215509j:image千手観音菩薩坐像墓塔。元禄年間造立。

▼本記事を作成する上で参考にした文献

『文京区史』巻2,1968年, 東京都文京区

『民間伝承』1964年, 六人社

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光源寺の所在地